東京地方裁判所 平成3年(ワ)13367号 判決 1993年1月28日
原告
青柳昌江
右訴訟代理人弁護士
海老原照男
被告
松尾久
外二名
右三名訴訟代理人弁護士
渡邊隆
右訴訟復代理人弁護士
長倉隆顯
主文
一 被告松尾久及び同興栄トラスト株式会社は、原告に対し、各自、金一〇三万一一七〇円及びこれに対する平成三年一〇月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告の被告松尾久及び同興栄トラスト株式会社に対するその余の請求並びに被告キャピタル管理株式会社に対する請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、原告と被告松尾久及び同興栄トラスト株式会社との間においては、これを四分し、その一を同被告らの、その余を原告の各負担とし、原告と被告キャピタル管理株式会社との間においては、全部原告の負担とする。
四 この判決の第一項は仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告らは、原告に対し、各自、金四二三万五〇〇〇円及びこれに対する平成三年一〇月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告が所有し第三者に賃貸中のマンション居室の直上階の他人専有部分からの水漏れ事故につき、当該専有部分の所有者、仲介人ないしマンション管理会社である被告らに対して損害賠償を求めた事案である。
一争いのない事実又は証拠上容易に認定し得る事実
1 原告は、昭和六二年九月、別紙物件目録(一)記載のマンション(以下「本件マンション」という。)のうち、同目録(二)記載の専有部分(洋室、台所兼食堂〔以下単に「台所」という。〕、玄関、浴室)である一〇三号室(以下「本件居室」という。)を、株式会社日新ハウジング(以下「日新ハウジング」という。)から買い受け、これを、同会社の仲介により、岡本英臣(以下「岡本」という。)に対し、平成元年八月二〇日から期間二年間、賃料一か月八万二〇〇〇円の約定で賃貸した(<書証番号略>)。
2 一方、被告松尾久(以下「被告松尾」という。)は、不動産の仲介等を目的とする被告興栄トラスト株式会社(以下「被告興栄トラスト」という。)の仲介により、本件マンションのうち、本件居室の直上階に位置し、本件居室とほぼ同様の構造を有する専有部分である二〇三号室(以下「二〇三号室」という。)を買い受けた。
3 また、被告キャピタル管理株式会社(以下「被告キャピタル」という。)は、不動産の管理等を目的とする会社であるが、昭和五七年一一月一日、本件マンションの管理組合との間において、本件マンションの管理につき業務委託管理契約(以下「本件管理契約」という。)を締結した(<書証番号略>)。
4 ところが、平成二年一二月二七日、二〇三号室の台所の水道蛇口と給水管とを連結するフレキシブル配管の上部接続部分のパッキンの劣化により、当該箇所から漏水し(証人米山益美)、その水が階下まで伝わって本件居室の天井から水漏れし、これが継続して本件居室の内部及び岡本の所有物件を汚損する事故(以下「本件事故」という。)が発生した。
5 そこで、被告松尾及び同興栄トラストは、平成三年一月一六日付確認書(以下「本件確認書」という。)をもって、原告及び岡本に対し、本件事故の発生について自己に責任があることを確認した上、原告が提出し被告松尾が承認した工事見積りによる本件居室の完全な原状回復を行うとともに、合理的な資料に基づく岡本の物的損害及び今後の当事者間の話し合いにより決定すべき原告及び岡本に対する精神的損害につき連帯して賠償責任を負うことを認めた(<書証番号略>)。
6 岡本は、原告との間で、本件居室に関する賃貸借契約を平成三年一月末日限り合意解約して本件居室を明け渡し、その後、被告松尾及び同興栄トラストとの間においては二〇万円の支払を受けることで本件事故につき示談を成立させ、同年六月一八日、右金員の支払を受けた(<書証番号略>)。また、原告は、株式会社ピアレス(以下「ピアレス」という。)に依頼し、代金一二三万五〇〇〇円で本件居室の修復工事をした(<書証番号略>)。
二原告の主張
1 被告キャピタルの責任原因
(一) 被告キャピタルは、本件管理契約に基づき、本件マンションの委託管理者として、水漏れ箇所が共用部分であると専有部分であるとを問わず、水漏れを防止し、再発しないよう適切に処置すべき契約上の義務があった。
(二) 仮に、そうでないとしても、被告キャピタルは、本件事故発生の翌日ころ、原告及び被告松尾の要請により水漏れの原因を調査し、これを直ちに停止させるべく作業を行い、もって事務管理行為を開始したものであるから、その事務の性質に従い、最も本人である原告に適すべき方法により事務を管理すべき法律上の義務を負ったのに、その後、何らの措置を講ずることなく放置して右義務に違反したから、事務管理者の債務不履行責任を免れない。
2 損害賠償額
被告らが、各自、原告に対して賠償すべき損害は、以下の合計四二三万五〇〇〇円である。
(一) 修復工事代金
一二三万五〇〇〇円
二〇三号室からの水漏れは、平成二年一二月二七日から平成三年一月二〇日ころまで継続したため、本件居室の全部が水浸しになり、洋室のみならず、台所及び玄関まで汚損したから、これら全部の修復工事に要したピアレスの右工事代金は本件事故による損害である。
(二) 逸失賃料九八万四〇〇〇円
本件事故がなければ、岡本は本件居室を引き続き賃借したことが明らかであるから、同人が平成三年一月末日限り右賃貸借契約を解約したことにより、その賃料一か月八万二〇〇〇円の一年分に相当する右金額の得べかりし賃料の喪失による損害を被った。
(三) 慰謝料二〇一万六〇〇〇円
原告は、本件事故の発生後、被告ら、岡本及び施工業者との連絡、交渉に追われたが、被告らから誠意ある対応を受けず、被告キャピタルの担当者に至っては脅迫的言辞を弄したため、やり場のない怒りや不安等で自己の仕事も手につかず、体調を崩すなどして精神的苦痛を被った。これに対する慰謝料は三〇〇万円を下らないが、その内金として右金額を請求する。
三被告らの主張
1 被告キャピタルは、本件事故につき損害賠償責任を負わない。
(一) 本件管理契約による委託管理の対象は共用部分に限定されているところ、本件事故の原因となった二〇三号室の給水管は、被告松尾の専有部分への水道の供給のためにのみ存在する水道支管であり、右専有部分の附属物であるから、被告キャピタルには契約上の管理責任はない。
(二) 被告キャピタルには事務管理者の債務不履行責任もない。すなわち、被告キャピタルは、平成二年一二月二七日午前一一時ころ、本件居室の売主であり、かつ、岡本が賃借する際の仲介人でもあった株式会社日新ハウジング(以下「日新ハウジング」という。)からの連絡により本件事故の発生を知り、株式会社共同サービス(以下「共同サービス」という。)に対し、水漏れに対処するよう連絡した。しかし、工事費用の負担をめぐる行き違いから着工に至らず、平成三年一月七日、原告からの再度の連絡により、被告キャピタルの担当者が現場に急行し、他の水道業者に水漏れの原因となった二〇三号室のパッキンの交換修理をさせた。被告キャピタルの右行為が事務管理に当たるとしても、その本人は二〇三号室の所有者である被告松尾にほかならないし、仮に、原告を本人とする事務管理が成立したとしても、被告キャピタルにおいて善良な管理者の注意義務を尽くし、最も本人の利益に適すべき方法によって事務を管理したことは明らかである。
2 本件事故は、本件居室の洋室の物入れの天袋内に水漏れして発生したもので、平成三年一月七日には完全に止まっており、この間、岡本において応急措置を講じ、水漏れ被害は洋室以外の部分には及んでいないから、原告主張の工事代金のうち、洋室以外の分を被告松尾及び同興栄トラストが負担すべきいわれはない。また、岡本は、原告の申込みに応じて、やむを得ず本件居室の賃貸借契約を合意解約したものであるから、原告主張の逸失賃料と本件事故との間には因果関係はない。さらに、被告キャピタルの担当者が原告主張のような脅迫的言辞を弄した事実もない。
四本件の争点
1 被告キャピタルが本件事故につき損害賠償責任を負うか否か。
2 原告に対する損害賠償額はいくらか。
第三争点に対する判断
一争点1(被告キャピタルの責任原因の存否)について
1 まず、本件事故の経過についてみるに、証拠(<書証番号略>、証人岡本英臣、同畝見健二、同米山益美、原告本人の一部)を総合すると、以下の事実が認められる。
(一) 岡本は、平成二年一二月二七日午前三時ころ、本件居室で就寝中、水漏れの音で目が醒め、洋室の物入れ天袋の天井(別紙図面の×印の箇所)から水滴が落ち布団がびしょ濡れになっているのを発見し、二〇三号室に赴きその居住者に連絡しようとしたが、誰も出ないため、水漏れ箇所にバケツを置いて就寝した。そして、同日、午前一〇時ころ起床して再び右居住者に事情を説明し(右時点でバケツに半分くらい水が溜まっていた。)、共ども二〇三号室の内部を点検したが、原因が判明しなかったので、そのまま勤務先の会社に出勤し、日新ハウジングに対し、年末に帰省するので水漏れを早急に修理して欲しい旨依頼した。
(二) 被告キャピタルは、右同日、日新ハウジングから連絡を受けたが、翌二八日から一月六日まで年末年始の休みに入るため、二四時間体制でマンションの水漏れ、配管詰まりの緊急修理等を行っている共同サービスに原因調査を依頼するとともに、原告に対し、この間の事情を説明した。共同サービスは、右業務に着手するに当たり原告に代金の一時立替払を要求し、原告からこれを拒否されるなどのことがあり、平成二年一二月二八日、現場に赴いて調査したが、水漏れ箇所は判明しなかったところ、原告は、同日、日新ハウジングから、年内の業務を終了する旨の連絡を受けたにとどまるため、水漏れは止まったものと理解していた。
(三) しかし、岡本は、右同日午後一時ころ帰宅し、台所と洋室の間の通路の洋室側の天袋や浴室の換気扇からも水漏れしているのを発見して、その下にバケツを置き、さらに、翌二九日午前一時ころ、洋室の押入れ前の天井からも水漏れし、カーペットが半径一メートル弱の範囲で湿っているのを認め、水を受けるためにプラスチック製の衣装箱を置いた。三一日には、押入れ前の天井の石膏ボードの継ぎ目がやや緩み、天井紙が膨らんだので、天井紙をカッターで穴を開けて水を衣装箱の中に落したところ、その半分程度まで水が溜まった。その後、通路側の天袋の水漏れは止まったが、押入れ前の天井及び物入れの天袋からは新年になっても水漏れが継続していたため、岡本は、帰省を取りやめ、正月休み中在宅した。この間、岡本において、台所の流しの上の食器棚等を全部点検したが、水が漏れている箇所はなかった。
(四) 被告キャピタルでは、年末年始の休み中の緊急連絡は、会社にかかった電話を担当者の自宅に転送して対処する仕組みになっていたところ、その連絡がなかったが、原告は、平成三年一月六日、岡本に電話して水漏れがまだ止まっていないことを知り、翌七日、被告キャピタルに連絡して善処方を求めた。そこで、被告キャピタルの担当者は、現場に急行して二〇三号室の室内を点検した結果、前記のとおり、台所の給水管の接続部分から漏水していることが判明し、同行した水道業者にそのパッキンの交換修理をさせ、水漏れが完全に停止した。その際、本件居室の内部を点検したところでは、洋室の押入れ近辺に水漏れの跡があったが、台所にはその痕跡が見当たらなかった。
(五) 原告は、本件事故による損害賠償につき、弁護士に委任して平成三年一月一六日付の本件確認書を作成し、被告松尾及び同興栄トラストは、これに調印して前記のとおり合意をしたが、被告キャピタルは、原告が本件居室の管理費を長期間にわたり滞納していることなども指摘して、右確認書への調印を拒否した。本件居室の原状回復は、原告が出し被告松尾が承認した工事見積りに基づくこととされていたので、原告が佐田建設株式会社に依頼して見積りをさせたところ、同会社は、同年二月二日、洋室のほか台所及び玄関を含めて改修工事を行うこととして代金二一〇万円の見積書を作成した。
(六) しかし、被告興栄トラストは、右見積りに承服することができず、独自に有限会社インテリアうねみに見積り依頼をし、同会社において、水漏れによる修復が必要な箇所は洋室のみであると判断して、平成三年二月一五日、その工事代金を三一万九五七二円とする見積書を作成提出したため、折り合いがつかなかった。そこで、原告は、同年五月、改めてピアレスに依頼して、洋室のほか台所及び玄関を含む修復工事代金を一二三万五〇〇〇円とする見積りをさせた上、被告松尾の承認を得ないまま施工させ、遅くとも同年六月末ころには完成し、同年七月二日、ピアレスは原告に対して右代金の支払を請求したが、その決済は未了である。
2 そこで、被告キャピタルの本件契約上の管理責任の存否について検討する。証拠(<書証番号略>、証人米山益美)によれば、被告キャピタルは、二五〇〇件くらいのマンションの管理業務を行い、本件マンションについては、その管理組合との間で本件管理契約を締結した上、委託業務の対象を、諸設備及びその敷地等の共有部分の管理並びに維持運営と規定し(一条)、共用施設の給排水衛生設備の保守・点検・修理をその一例として掲げ(二条)、右業務については第三者に発注して行わせることができるが(三条)、その際には被告キャピタルがその都度立会確認をし、当該組合員及び占有者との連絡調整に当たるべきものと定めていることが認められる。被告キャピタルが、本件居室の水漏れ事故発生の連絡を受けるやその原因調査を共同サービスに依頼したのは、右事故が本件管理契約に基づく右のような委託業務の守備範囲に属するものであるか否かを見極め、臨機の対応をとるための措置であると考えられるが、水漏れの原因は、結局、被告松尾所有の専有部分である二〇三号室の内部、すなわち、その台所の水道蛇口と給水管とを連結するフレキシブル配管の上部接続部分のパッキンの劣化であることが判明したことは、前記のとおりである。そして、右パッキンを含む給水管は、被告松尾の専有部分たる建物部分への水道の供給のためにのみ存在する水道支管であって、右建物部分の附属物にほかならないから、これが本件マンションの共用部分、すなわち、本件管理契約にいう共有部分ないし共用施設に当たらないことは明らかであり、また、この点に関し、本件マンションの管理組合の規約において別段の定めのあることの主張・立証もない。そうすると、被告キャピタルは、本件管理契約に基づき、本件事故によって原告に生じた損害につき賠償責任を負うものではないから、原告の主張は採用することができない。
3 次に、事務管理者の債務不履行責任の存否について判断する。前記認定事実からすれば、被告キャピタルは、本件居室の水漏れの停止について、義務なくして原告のために事務の管理を開始したものといわざるを得ないから、本人の意思ないし利益に従い、善良な管理者の注意義務をもって右事務を処理すべき義務を負うに至ったというべきである。しかしながら、被告キャピタルは、前記のとおり、本件事故の発生当日に、日新ハウジングからの連絡で本件居室の水漏れを知り、翌日から一月六日まで年末年始の休みに入るため、二四時間体制でマンションの水漏れ、配管詰まりの緊急修理等を行っている共同サービスに原因調査を依頼し、同会社において、現場調査したが、水漏れ箇所が判明しないまま越年し、この間、年末年始の休み中の緊急連絡もなかったところ、平成三年一月七日、原告からの連絡に基づき、担当者を現場に急行させて水漏れ箇所を突き止め、同行した水道業者にその修理をさせた結果、水漏れは完全に止まったものである。もし本件事故の発生当日に逸速く適宜の措置を講じていれば、原告の損害の発生ないし拡大を防止し得た蓋然性はあるとしても、本件事故はたまたま年末年始の休みの時期と合致していたのであって、右のような経過に照らすと、事務の性質に応じ客観的に判断する限り、被告キャピタルは、推知し得べき本人の意思に従い、また、最も本人の利益に適すべき方法によって事務の管理行為を行ったものと認めて妨げないというべきである。したがって、被告キャピタルに事務管理者の債務不履行があったということはできないから、この点に関する原告の主張もまた、採用するに由ないといわなければならない。
4 このように、被告キャピタルは、本件事故につき、損害賠償責任を負うものではない。
二争点2(損害賠償額)について
1 そこで、被告松尾及び同興栄トラストが本件確認書に基づいて負担すべき損害賠償の額について検討する。
(一) 修復工事代金
原告は、本件居室の水漏れは平成三年一月二〇日ころまで継続し、本件居室の全部が水浸しになり、洋室のみならず、台所及び玄関まで汚損した旨主張し、<書証番号略>及び原告本人の供述中には、右主張に沿う記載及び供述部分がある。しかしながら、前記認定事実に照らすと、水漏れは同月七日には、完全に止まったのであり、また、洋室以外の部分が本件事故によって汚損したものと認めることは困難であるから、右証拠はたやすく信用することができず、他に、右主張事実を認めるに足りる証拠はない。ところで、原告がピアレスに依頼した工事の見積代金一二三万五〇〇〇円は、本件確認書で約定された被告松尾の承認を得たものではなく、かつ、洋室工事分五五万四〇〇〇円、台所工事分三九万七〇〇〇円、玄関工事分一三万三〇〇〇円及び諸経費一五万一〇〇〇円の合計であるが、本件確認書の趣旨とするところは、原状回復のために要する本件事故と相当因果関係のある汚損修復費用は被告松尾及び同興栄トラストにおいて連帯負担すべきことを約したものと認められる。そうすると、右被告両名において負担すべき分は、右洋室工事分五五万四〇〇〇円と、右諸経費のうち三つの工事区分により案分計算して得られる洋室工事分相当額七万七一七〇円とを合計した六三万一一七〇円と認めるのが相当である。なお、洋室工事分の見積りとしては、これより廉価な有限会社インテリアうねみ作成の見積書が<書証番号略>として提出されており、また、同会社の代表取締役である証人畝見健二は、ピアレスの前記見積りは既往の材質より高価なものを使用している旨証言するが、前掲<書証番号略>の記載内容等に照らし、そのまま採用することは躊躇せざるを得ず、これらが右認定判断の妨げになるものということはできない。
(二) 逸失賃料
原告が、本件事故後、岡本との間で、本件居室に関する賃貸借契約を平成三年一月末日限り合意解約して本件居室の明渡を受けたこと並びに本件居室の修復工事は遅くとも同年六月末ころには完成したことは前記のとおりである。ところで、原告は、本件事故がなければ岡本が本件居室を引き続き賃借したことが明らかであるとして、一年分の得べかりし賃料を本件事故に基づく損害賠償として求めているが、被告松尾及び同興栄トラストに対する本訴請求は、本件確認書に基づく請求であるところ、右確認書においては、岡本に生じた物的損害を賠償の対象項目として明記する一方、原告に生じた財産的損害を記載していないのであるから、逸失賃料の請求それ自体は、その前提において失当であるといわざるを得ない。もっとも、本件確認書は、水漏れが停止してから九日後の、しかも、岡本との賃貸借契約がなお存続中の時点において作成されたものであり、前記認定事実からすると、右時点においては、事態の早急な解決が見込まれていたものと考えられるから、本件居室に関し、岡本がその後に賃貸借契約を合意解約し、かつ、新規賃貸がされないまま経過するという事態の展開は、関係者の間では予測されておらず、そのために前記のような記載になったものと推認される。そして、本件事故と相当因果関係にある逸失賃料であれば、これを損害賠償の対象から除外すべき合理的根拠は乏しいから、この点は、後述する慰謝料の算定において斟酌するのが相当である。
(三) 慰謝料
本件確認書において今後の当事者間の話し合いによって決定すべき原告及び岡本に対する精神的損害も賠償の対象としていたこと並びに岡本と被告松尾及び同興栄トラストとの間においては二〇万円の支払を受けることで示談が成立したことは、前記のとおりである。そして、証拠(<書証番号略>、原告本人)によると、原告は、本件居室を昭和六二年九月銀行ローンにより代金二八六〇万円で買い受け、その融資先に極度額二四八〇万円の根抵当権を設定し、第三者に賃貸して得られる賃料を右ローンの支払に充てていたが、岡本の退去後は新規賃貸による賃料収入を得られず、また、本件事故の当時は、自らがかねてより営業していた人材派遣会社と情報データーサービス会社の営業に奔走中であり、本件事故の処理にも少なからず腐心したことが認められる。もっとも、右証拠によれば、原告は、会社事務所の賃料の支払を滞納して平成三年七月その明渡を余儀なくされ、さらに、右ローンの支払の滞納により同年一一月には本件居室につき競売による差押えを受けたことが認められるが、こうした事態が本件事故そのものと相当因果関係にあることまで確認するに足りる証拠はないし、また、被告キャピタルの担当者から脅迫的言辞を受けた旨の原告の主張事実を認めるに足りる的確な証拠もない。そこで、以上のような諸点に、本件事故の態様、その後の関係者の対応、原告の前記逸失賃料その他諸般の事情を総合考慮すると、慰謝料としては、四〇万円をもって相当と認める。
第四結論
以上の次第で、原告の本訴請求は、被告松尾及び同興栄トラストに対し、各自、合計一〇三万一一七〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成三年一〇月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があり、これを認容すべきであるが、右被告らに対するその余の請求並びに被告キャピタルに対する請求はいずれも理由がないから、これを棄却する。
(裁判官篠原勝美)
別紙物件目録<省略>
別紙一階平面図<省略>